私の中の宿題
短大に進学したころ、社会人になったばかりの中学時代の同級生が着ていたセーターの色がとても綺麗で
『素敵だね』とそのままの気持ちを伝えました。
彼女は近所に住んでいて彼女の一家とは家族ぐるみの付き合いがあります。
後日、彼女のお母さんが「久美ちゃん(私のこと)口が上手だね」と母へ言ったと聞き、
どうして?私はその時の気持ちを伝えただけなのに。
相手に気に入られようとか喜ばせようとして言ったわけではないのに。
彼女のお母さんのことを悪く感じたわけではありません。
ただどうしてなのかがわからなかったのです。
そのときのことは、心の中に消化されていない宿題として残っていたようです。
10年近く経った頃、何かのきっかけでその出来事が思い出され、それが大人の世界なのかと思い、
さらに10年近く経った頃、また何かのきっかけで浮かび、
一つの出来事に対して人はそれぞれ様々な捉え方をするということを知りました。
そして更に数年経った頃、また何かのきっかけですが「口が上手だね」との表現は
私が口先だけで言葉を表しているということではなく、
ひょっとして彼女のお母さんは言葉の選択が上手くなかっただけなのかもしれない。
私の受け取り方が適切ではなかったのかもしれないと思い至りました。
この他にも『どうして?』と未消化のままなんとなく残っている出来事はいくつかありますが、
人生の経験や学びが私の宿題を完結させてくれると漠然と考えていました。
先日、その答えを東大名誉教授、上野千鶴子さんの著書の中で見つけました。
『ひとは自分の器でしか理解力がない』
そうなのか・・・。私にはまだまだ学びが必要・・・・・。