正しいことでも正しいとは限らない
日曜朝の路面電車内。客はまばら。
降車ボタンが押されていなくとも、路面電車はいったん停留所で停まり、
乗務員からの『降りる方はいらっしゃいませんか』の確認言葉があって発車している・・と思う。
ある停留所で、降車ボタンが押されておらず、一旦停止した電車が発車しようとしたその時、
一人の男性が『降ります』。
私の隣に座っていた方で、少し前にドア近くへ移動していましたので、本人は降りる予定だったかと。
乗務員の『はい』の柔らかな声と同時にブレーキの音がして電車は停止。ドアが開き、その男性は降りていきました。
これだけのことなんだけれども、爽やかな風が流れたのはどうしてなんだろう。
先日アンガーマネジメント協会北海道支部の講演で安藤俊介代表理事の『正義感と怒りのメカニズム』の講演を聴いた影響もあるのかもしれない。
恐らく乗務員の方が『降りるときには降車ボタンで知らせてくださいね』と一言添えたとしても、誰も何も言わない。
降りるときにはボタンを押して知らせるのは路面電車内のルールだから。
でも、その時『次回からは‥』と一言あったとしたら、車内にほんのちょっぴりの緊張が生じたかもしれない。
日常生活の中で、間違ってはおらずどちらかというと正しい部類に入ることで、
敢えて言わずともいいことなのに言葉に表していることはないだろうか?
ある出来事があり、その内容自体は間違っていないのだけれど、言葉に表すことで、
相手や周囲との間に気まずい雰囲気が流れるとしたら・・・・・・。
それが自己にとっては正しい正義感のようなものからだとしたら・・・。
ひょっとしてそれが相手や周囲への怒りからでているものだとしたら・・・。
安藤代表の言葉に
『正義の名のもとに怒ると間違いでないと思える〈少なくとも正しいと思える〉』
納得。
相手を守ろうとする正義感と相手を罰しようとする正義感。
と、降車するまでこんなことを考えていました。